偉大なる「昭和の頑固親父」

過去の記事で散々触れてきましたが、私が鹿実を好きになった最初のきっかけは1996年の選抜優勝をリアルタイムで見た事です。

子供の頃の私は「鹿児島に県勢初の優勝旗を持ってきた鹿実野球部」がとても誇らしく思っていて、私の父を始めとした野球好きの大人たちに何度も鹿実の話をした記憶があります。

その大人たちが決まって返してくる言葉がありました。

 


「いやあ、優勝したチームより、内之倉がいた頃のチームの方が強かったよ」

 


そう。後にプロ野球ダイエーに入団する内之倉隆志選手を中心とした1990年の鹿実は、九州大会無敗。全国の舞台では4番内之倉選手を中心に、どこからでも長打が打てる「桜島打線」で全国を席巻したチームです。

鹿児島を代表するスポーツライター政純一郎氏は、「鹿児島の高校野球史上初めて全国制覇を期待されたチーム」と言います。

私はこの当時は物心つくかつかないかの児童で、当然野球に興味を持つ遥か前。

リアルタイムで見る事が出来なかった「伝説のチーム」に対して、強い憧れを抱いたものです。

そして、現在鹿実の指揮を執るのが、その当時キャプテンとしてチームを牽引した宮下正一監督です。

今日は、宮下監督に対する私の想いをこの記事に綴らせていただこうと思います。

 

 

 

宮下監督が母校鹿実の監督に就任したのは、低迷期の2005年。当時の経緯については、こちらの記事freak - Bの魂でも触れさせて頂いてます。

当時から今に至るまで、宮下監督は周囲から様々な批判を浴び続けてきました。

就任直後は結果が出ない事、偉大な名将久保克之総監督との比較。

「やっぱり宮下じゃだめだ。久保先生の野球じゃないと」という言葉を球場で耳にする事も何度もありました。

しかしそれ以上に指摘されるのが、その指導方針。一般的な宮下監督の世間のイメージは「鬼のように厳しい人」「昔の指導者」でしょう。

宮下監督の指導は確かに厳しい。試合中もベンチで選手たちに強い口調で叱責する事は少なくありません。練習時間も馬鹿みたいに長く、それに対して全国の野球ファンから「あれでは選手が萎縮してしまう」「もっと楽しく野球をさせてあげないと、選手たちが可哀想だ」という主張が上がっている事も理解してます。

また、宮下監督の指導ポリシーである「勝てば全て正解になる。だから我々は勝たないといけない。勝って我々の野球を正解にしなければいけない」という主張に対して、反発を抱く人も少なくありません。「それは勝利至上主義ではないか。将来ある選手たちを潰す気か」と。

これらの一面だけ受け取ったら、宮下監督の事を「悪しき体育会系の風習を改善する気のない旧態依然の指導者」と評価する声があってもおかしくないでしょう。

 


しかし……これが果たして本当に宮下正一監督の実像なのでしょうか?

 


まず、先にお伝えしないといけないのは、私は個人的に宮下監督の事が好きであるという事。その人物像に魅力を感じている事。

そのためここからの話は私個人の贔屓目が多分に含まれる事になる訳ですが、それを踏まえた上で私の主張を述べさせてもらえば、「宮下監督は決して悪しき旧態依然の指導者ではない」という事です。

なぜなら、私は上記の批判が宮下監督の一面でしかない事を理解しているからです。

 


4年前鹿実が甲子園に出た際に、こんな出来事がありました。

大会前に現地に到着した際、地元の高校の野球部が練習場所としてグランドを提供してくれたのですが、グランドのベンチ内の黒板にはたくさんの歓迎のメッセージがありました。自分たちが甲子園に出る訳でもない上、貴重な練習環境を全く違う地域の代表校に定期するのに、そのチームを応援したり労ったりする心温まるメッセージ。

それに対して宮下監督が選手を集め「これが高校野球だ。高校球児は地域が違っても、野球という競技で繋がっている。だから甲子園に出る我々は、出られない彼らの思いも背負って戦わなければならない」と。

私はこの言葉に、強い感銘を受けました。

誰かの思いを背負って戦う---個人主義が叫ばれる現代では否定されがちな価値観。しかし、それこそが高校野球の魅力であり、良さである……改めてそう気づかされたような気がしました。自分たちが勝てば良いんじゃない。この人は、常に色んな人の想いを背負って戦う覚悟のある監督なんだと。こんな事を言える高校野球の指導者は、果たしでどれだけいるでしょうか。

 


また、今年の鹿実の卒業式の後の、昨年のエース吉村投手とのやりとりも深く印象に残っています。

吉村投手が宮下監督に感謝の言葉を伝えようとした時、「監督が僕をエースとして期待してくださったから…」と口にして、感極まり言葉に詰まった時の、呆れたように笑い飛ばす宮下監督の暖かい表情。鬼なんかじゃない。厳しさの中に、子供たちの成長を心の底から願う優しさがある「古き良き昭和の親父像」そのものでした。

感謝の言葉を言い切れずに泣きじゃくった吉村投手は、下級生の頃から期待されながらも、大事な試合で結果を残せず苦しんできました。周囲からも「エースは吉村でなく、ライバルの立本の方が相応しい」と言う声が上がる日々。そんな中、宮下監督だけは吉村投手の復活を最後まで信じ、チャンスを与え続けてきたのです。結果的に吉村投手を信じた宮下監督の判断が正しかったかどうかは、去年の夏の彼の活躍を見れば一目瞭然でしょう。彼は「親父」の期待に、見事に応えてくれました。

その事が頭をよぎり、私もこの光景を見てテレビの前で思わずもらい泣きしてしまった事も、余計な事ながら付け加えておきます。

 


鹿実野球部はよく「軍隊」と例えられます。規律正しいその集団行動や、過剰に礼儀正しい大声の挨拶を見れば、そういう表現をされても仕方ないでしょう。何より、宮下監督自身も「軍隊」を自称するくらいです。

しかし、私の目には「100人の大家族」のようなものに見えて仕方ないです。その家族の中心には、昭和の時代の様な厳しさと優しさが同居する頑固親父います。

この頑固親父がいて、この一家を作り上げた久保総監督が「優しいおじいちゃん」として見守る鹿実野球部一家。私はこの大家族の野球が大好きでたまりません。

だから負けて欲しくない。たった三年間だけども、ここで培われた結束と絆の強さは、全国どこに出しても一級品です。

 


こんなチームを作り上げてしまう監督は、全国どこを探してもなかなかいないでしょう。

だから、僕は宮下監督の作るチームに、ついつい過剰なほどに感情移入してしまうのです。

「勝てば全て正解になる」という主張も、決して勝利至上主義によるものではなく、周囲からのプレッシャーや期待、批判すらも全て正面から受け止める覚悟がそう言わせているのだと、私は思います。

 


古い価値観かもしれません。時代に合っていないかもしれません。

しかし、現代は多様性の時代。新しい価値観だけでなく、古い価値観も一緒に共存してこそ「多様性」は保たれるのではないでしょうか。

 


素晴らしく素敵な、強くて優しい昭和の頑固親父、宮下正一監督。その頑固親父が信じて鍛え上げた選手たちが、「萎縮して力を発揮できない」なんてヤワな連中な訳がありません。伊達に冬の裸練を、罵声飛び交う喧嘩ノックをこなしてはいませんから。

 


そんな鹿実一家の最後の夏が、いよいよ始まります。彼らは一高校生では経験できないような期待を背負って戦っています。そんな彼らを、私はついつい応援せずにはいられない。

結果はどうなるかは分かりませんが、彼らのこの一年の軌跡を私は誇りに思います。

青春の全てを捧げた日々が、勝利という名の正解に結びつきますように。

 


引き続き微力ながらも、一ファンとして声援を贈らせていただきます。