病と戦い続けた男

このブログではよく「96年選抜優勝以来の鹿実ファン」を名乗る私ですが、実は私が継続的に球場に足を運び生観戦するようになったのは2011年頃から。ちょうど県外から鹿児島に帰ってきたのがその頃だったので、まだ10年もたってないですね。

最初に観に行ったのはその年の一年生大会だったと記憶してます。既に下級生ながら本チームの主力選手として活躍していた福永泰志(三菱自動車岡崎)選手や、横田慎太郎(阪神)選手を目当てに姶良球場にワクワクしながら向かったのを覚えています。

試合は山下投手-緒方捕手の後に甲子園に出場する黄金バッテリー擁する樟南に完敗し、福永選手と横田選手も抑え込まれていました。

ただ、その後の2年間の鹿実はまさに「福永・横田の時代」。コンスタントにどんな投手からもヒットを打ち返す福永選手に対し、やや不器用ながらも圧倒的な身体能力で強烈な打球をかっ飛ばす横田選手。その迫力あるプレーには何度も度肝を抜かれました。

2年夏の神村・柿澤投手のインコースの速球をライトスタンドに放り込んだ反撃の一発や、3年時に見せた特大のホームランの数々。ピッチャー返しのような打球がそのまま外野フェンスまで到達したこともありました。

今でもこの二人がいたチームを甲子園で見たかったな、と思う事があります。

 


先日、そんな横田選手が現役引退を発表しました。

2年前のキャンプで脳腫瘍を患い、それからは病との戦いの日々。育成選手契約となってからは、支配下登録への返り咲きを目指して己の身体と向き合い続けてきました。

地道で孤独な戦い。まずは身体を元どおりに動かすことからと、地味で直接野球に関係ないようなトレーニングから取り組んできたそうです。そもそも野球以前に、まずは日常生活への復帰が第一関門ですから。普通なら誰だって投げ出し、逃げ出しなくなるようなことが多かったことでしょう。

しかし横田選手はこの2年間、弱音を吐くこともなく着実に復帰への道を歩んできました。

結果的に復帰が叶うことはありませんでしたが、その戦い続けた姿だけでも立派でした。

横田選手は引退発表後、「ファンの声援が自分の支えだった」と、ファンに対して感謝の言葉を贈りました。人は病に侵されると、身体だけではなく気持ちも病んでしまうもの。そういう時は誰しもが周りが見えず、自分のことで精一杯になりがちです。

横田選手も野球を諦めなければならない無念さが当然あるでしょう。それでも自分の支えになった人々への感謝を忘れず、言葉にして伝える事ができる。これこそが彼の、横田慎太郎という男の強さだと思います。

 


記録に残る選手にはなれなかったかもしれません。

ただ、私は彼という野球選手がいた事をこれからも忘れる事はないでしょう。

 


あの大きな身体から繰り出される強烈な打球。

大股でスピーディな走塁。

不器用でガムシャラなプレースタイル。

そして大きな身体とギャップのある少年のような笑顔。

 


私だけでなく、きっと彼を応援し続けてきた多くのファンの記憶に残り続けるはずです。

 

 

 

最後に鹿実ファンとして、横田慎太郎選手のファンとして、感謝の言葉を贈らせていただきます。

 


本当にたくさんの凄いプレーを、感動的なホームランをありがとうございました。横田選手のいた3年間、本当に試合の日が待ち遠しくていつもワクワクしながら鴨池に通ってました。

これからは周りの人を頼りつつ、持ち前の笑顔を忘れずに楽しい幸せな人生を歩んでいってほしいです。

ご自身の身体とは一生の付き合いになりますが、決して病に負けないでください。

選手生活、本当にお疲れ様でした。