鹿実鹿実野球部、エース赤嵜好投も……明秀日立に惜敗。

遅ればせながら、選手、指導者、関係者の皆さん。本当にお疲れ様でした。

まずはいつものように試合の振り返りと、その感想を述べていこうと思います。

 

◆第104回全国高校野球選手権

二回戦

鹿児島実 001 000 000=1 H6 E4

明秀日立 000 000 11x=2 H6 E1

【投ー捕】

鹿実:赤嵜ー濵﨑綜

明秀:石川、猪俣ー伊藤

 

赤嵜好投に好守披露も…相手エース攻略できず、終盤痛恨の守乱

両チームの監督が共に「勝つには4点勝負」と読んだこの試合。序盤は息の詰まるような重苦しい展開となりました。そして、そう仕向けたのは間違いなく鹿実側です。

先発マウンドの赤嵜投手は立ち上がりやや制球に苦しみながらも、持ち前の丁寧な投球で連打を許さない粘り強い投球を披露。一方打線は左の石川投手相手に初回こそ三者三振を喫するも、2回は4番永井選手の安打と、5番濵﨑選手のエンドラン成功で無死二、三塁の得点チャンスを演出。しかし、後続の3人が凡退し先制とはなりませんでした。

続く3回、鹿実は制球に苦しむ石川投手から粘り強く四球を勝ち取り二死満塁のチャンスを作ると、打者濵﨑選手の打席の途中で明秀日立が投手をスイッチ。右のエース猪俣投手が投入されます。その初球がボールとなり押し出し四球、これで鹿実は先制点を挙げます。

先制した後の赤嵜投手は頼もしい事この上なく、県大会同様ストライクゾーンを広く使う投球で明秀日立打線を翻弄。バックも筏選手のスーパーキャッチなど、好プレーでエースを盛り立てました。

中盤までの試合運びは思い描いた通り。攻撃力が持ち味の明秀日立に「1点が重い」と感じさせる事に成功しました。

ただ、誤算だったのは攻撃面。3回の押し出し以降、明秀エース猪俣投手からチャンスこそ作るもあと一本を打てない攻撃が続きました。茨城大会では制球に苦しんだ印象があった猪俣投手ですが、この日は厳しい内角をきっちり攻める制球に加え、自己最速を更新する145キロの速球で鹿実打線を圧倒。結果的に次の一点を挙げられなかった事実が、今度は終盤の鹿実に重くのしかかってきます。

7回裏、明秀日立金沢監督は赤嵜投手攻略のために代打、代走にエンドランと次々と策を打ち、これが成功。さらにライト植戸選手が打球処理を誤る間に一塁ランナーが長駆生還し、これで同点。さらに8回裏、佐藤選手にこの日3本目の安打を許し出塁を許せば、続く石川選手のセカンドゴロを藤田選手が果敢に二塁併殺を狙いに行くもこれが悪送球に。さらにレフト駒壽選手もカバーにもたつく間に佐藤選手が本塁生還。ついに鹿実はこの試合相手に初めてリードを許します。

赤嵜投手は続くピンチを見事切り抜け、8回を自責点0と好投。エースの役割は十二分に果たせていただけに、立て続けの守備の乱れはまさに痛恨となりました。

とはいえ点差は僅か1点。最終回反撃に出たい鹿実は先頭の筏選手がこの日2本目の安打で出塁すると、続く田中選手が手堅く送り同点のチャンスを作ります。ここで打席を迎えたのが、直前の守りで手痛いミスにより勝ち越し点を献上した藤田選手です。「このまま終わるわけにはいかない」、そういった気迫を全身に纏った藤田選手は厳しいコースもファールで粘り、この打席で猪俣投手に実に9球を投じさせます。しかし、最後は敢えなくレフトフライに倒れると、続く一ノ瀬選手も凡退し反撃もここまで。

強豪相手に終盤まで接戦を演じるも、最後は相手のプレッシャーに屈する形となり、鹿実野球部は初戦で甲子園を去る事となりました。

 

遠かった一点、地力の差痛感。それでも……

1点差の惜敗。しかし、敢えてこう表現しますが、決して「紙一重の差」とは言い難い1点以上の力の差を見せつけられた。それが私の率直な感想です。

勝つチャンスがあった試合だったのも事実。ただし、終盤重なった守備のミスは「出てしまった」ものではなく、相手の仕掛けとプレッシャーに対応できなかったもの。「相手がそうさせた」と表現してもいいでしょう。打線も、県大会とは見違える投球を見せる猪俣投手を最後まで攻略する事ができませんでした。純粋に打てなくて、守りきれなかった。これは単純に相手チームを上回る実力を示せなかったと捉えるべきでしょう。強豪ひしめく関東を制した実力、底力…それを痛感させられた試合となりました。

とはいえ相手の実績、経験値の差は最初からわかっていた事。鹿実に求められたのはその実力差をひっくり返す戦いであり、さらには戦うごとに成長していく事でした。実際、県大会のこのチームはそうやって勝ち上がってきたのですから。

2ヶ月前、今年の鹿実が甲子園に辿り着く事を予想した人はどれだけいたでしょうか。故障者が続出しチーム編成に苦労した昨秋以降、このチームは勝利に見放され続けていました。唯一の実績と言えるベスト8に入った春の県大会もコールド負け。5月のNHK旗は直前にチーム内にコロナウイルス感染者が複数出た事によりぶっつけ本番で挑むも初戦敗退。「苦しい一年だった」という宮下監督の言葉も頷けます。そして、夏の初戦は昨年も激闘を演じた宿敵、神村学園。第三シードではあるものの優勝候補筆頭との呼び声も高く、春の県と九州大会を制した実績、実力とも間違いなく格上と言えるチームです。この時点で私は、早々の夏の終わりを覚悟しました。

ですが、このチームはその試練に立ち向かい、決して屈する事はありませんでした。故障から返り咲いた赤嵜投手が強打の神村打線を11回1失点に抑える好投を見せると、バックも好守で応え延長まで縺れた熱戦で勝利。ここから降したチームは勢いに乗ると、難敵強敵を次々に倒し2年連続の夏の決勝進出。甲子園行きの切符がかかる舞台では「ここで勝たなければ意味がない」と昨年の悔しさを力に変えて、選抜出場の第一シード大島に見事勝利。とにかく、一戦一戦強く逞しくなって行く戦いぶりに、私はこのチームの可能性を夢見ずにはいられませんでした。「きっと甲子園でもっと強くなる」と確信しましたし、敗れた今でもその可能性を疑っていません。

しかしながら、トーナメントである以上一度敗れたチームには次を戦う権利はありません。私はあの一戦から一週間近くたった現在でも、未だに気持ちを切り替えられずにいます。もうこのチームの戦いを見届ける事ができない……その事実を受け入れるまではしばらく時間がかかりそうですが、ファンとして熱い気持ちと感動を与えてくれた鹿実ナインの皆さんには、深く感謝申し上げたいと思います。好きなチームが甲子園で戦い、その一投一打に一喜一憂する。高校野球ファンとしてこれ以上の喜びはありません。

 

ここまで来てくれて、夢を見させてくれて、本当にありがとう。

 

「甲子園中止」から始まった世代……深まった絆

敗戦後の試合インタビューで宮下監督は、声を震わせながら選手たちを讃えたと報じられています。普段の宮下監督なら、敗れた試合でも悔しさこそ滲ませつつも毅然とした態度で受け答えするところ。私の記憶の限りでは、過去そのような姿を公に見せた事はありません。それだけ思い入れのあるチームだったという事でしょう。

全国どのチームもそうでしたが、今年の三年生は新型コロナウイルス禍という災厄の中、様々な制約を常に強いられた中で高校野球生活を送った世代です。筏選手ら県外から入学の選手は、当初ホテル住まいで授業や練習が出来ないという高校生活のスタートでした。そんなホテル住まいの新入生の早朝散歩に付き添うという経験は、宮下監督にとっても初めてであり戸惑いや不安もあった事でしょう。「甲子園が無くなるかもしれないと報道される中、最後の最後まで信じて疑わず練習に取り組む生徒たちの顔を見ると、涙が出そうになる」、そう口にする宮下監督の表情を私は忘れる事ができません。結果は夏の選手権中止となりましたが、宮下監督は県監督会会長として、夏の公式戦開催に最後まで尽力されました。それでも、宮下監督の胸の中には「甲子園を目指す事が出来ない代を作ってしまった」という無念がしばらく残っていたようで、昨年春の県優勝の際は立ち直るまでに時間がかかったという正直な思いを述べていたのも記憶にあります。

そんな時間を過ごしたからでしょうか。私はこの夏の鹿実の戦いを追いかける中で、宮下監督と選手の距離感が以前より近くなったような印象を抱きました。以前は「闘将」の姿勢を崩さず、人前では常に選手に厳しく接していましたが、この夏は選手と喜びを共有したり、柔らかい表情を見せるシーンが明らかに増えたように思います。困難の中で監督と選手が共に歩みを止めず成長し続けた今年のチームだからこそ、絶望的な状況を覆し甲子園に辿り着けたのではないでしょうか。私はそう考えます。

また、結果的に敗戦の大きな要因になったエラーを献上した藤田和真選手のプレーに、私は不謹慎ながら運命的なものを感じずにはいられませんでした。1995年の社会人野球全国大会の都市対抗野球決勝で、NKK(現JFE西日本)のセカンド宮下正一選手は同じような状況で併殺処理に失敗。サヨナラ負けの決定的なプレーとなりました。試合直後は泣き崩れ項垂れた宮下選手でしたが、「同じ場面がきたら、絶対にゲッツーを取れる選手になりたい。『お前のプレーで負けたなら、仕方ない』と言われる信頼を勝ち取ってやる」、その思いを胸にレギュラーを勝ち取り、厳しい社会人野球の世界で長年プレーを続けてきたといいます。

藤田選手のプレーには「あそこで確実に一塁アウトを確実にとった方が良かったのでは?」、という声も聞かれました。しかし私は、あの攻めてアウトを獲る姿勢を支持します。結果は残念な形になりましたが、あそこでゲッツーが取れていたら流れを変えられたはずです。ゲッツーを取れると信じて攻めた結果なのだから、何も悔いる必要はありません。かつて選手だった宮下監督がそうだったように、藤田選手にもあのプレーを乗り越える人間になってほしい。ファンとしてはそう願わずにはいられません。おそらく、宮下監督もそう願っているのではないでしょうか。

直後の打席では諦めない姿勢を見せてくれた彼ですから、きっと大丈夫でしょう。

 

「無敵」ではなかったチームが繋いだ伝統、悲願は次世代へ

最終的には鹿児島の夏を制したものの、今年の鹿実は決して「無敵の強さ」を誇るチームではありませんでした。個々の選手の力はあったものの、一個上や二個上の世代と比較すると決して注目度や評価は高くなかったように思います。

そんなチームを一段も二段も引き上げる存在だったのが、エース赤嵜智哉投手でした。今年の鹿児島で最も注目を集めた投手は大島の大野稼頭央投手でしたが、私の中で鹿児島ナンバーワン投手は赤嵜投手です。本人は「大野の方がいい投手」と謙遜しますが、彼との直接対決で三度投げ勝ち甲子園でも自責点0で投げぬいた事実は誇っていいものでしょう。甲子園では勝ち投手になれませんでしたが、マウンドで試合を支配する能力は杉内俊哉投手、野田昇吾投手らと比肩しうるものがあります。ライバルの大野投手はプロ志望を表明しましたが、赤嵜投手もいつか同じ舞台で投げ合えるような投手になってくれることでしょう。野田投手の引退によりNPB(日本プロ野球)所属の鹿実OBは途絶えてしまいましたが、彼はその舞台にたどり着ける実力を持った選手だと確信しています。

また、彼の女房役を務めた濵﨑綜馬選手も、見事な成長を成し遂げた選手でした。元々は「打撃はいいけど、守備に不安」と言われていたように、新チーム結成以降は外野手として出場する事が多かった選手です。ですがこの夏のプレーは、とても直前にキャッチャーコンバートされた選手のそれには見えない安心感を与えてくれました。ストライクゾーンを広く使い、ボールになる変化球で振らせる赤嵜投手の持ち味を発揮するためには、捕手の実力が求められます。何度となくワンバウンドを止め、時に要所で間を使う彼の姿は、正真正銘の正捕手でした。彼がこの夏の赤嵜投手の好投を引き出したと言ってもいいでしょう。

その濵﨑選手が固定されるまでマスクを被っていたのが、主将の駒壽選手でした。プレイヤーとしては送球イップスに悩まされ、主将としてはチームが勝てず。とにかく苦悩が続く一年だったと察します。そんな彼が見せた鹿屋中央戦のホームラン時に内野ベースを一周する際の笑顔、甲子園の最終回で打席の選手にエールを送る姿…この夏の一挙一投即に試練を乗り越えてきた主将としての成長を実感しました。彼がこのチームの主将でよかったと、今は心からそう思います。

守っては大ファインプレーで甲子園を魅了し、打っては2安打と気を吐いた筏伸之介選手にも触れなければいけません。今年のチームが赤嵜投手が中心選手だったのは紛れもない事実ですが、彼もまた功労者と言っても過言ではありません。投手陣に故障者が続出する中、多くの試合でマウンドを守ってきたのは筏選手でした。秋の鹿屋中央戦で敗戦投手になったのも彼です。あの試合の悔しさをいつか晴らしてほしいと願ってましたが、この夏は因縁の鹿屋中央戦で勝利し、彼自身も県大会甲子園を通じて攻守共見事な活躍。下位打線ではありましたが、彼の働きがなければ甲子園は難しかったでしょう。中学時代から注目された選手であり地元には全国区の強豪も多い中、井戸田兄弟ら多くの先輩たちの後を追って鹿実を選んでくれたことにはファンとしては感謝の念しかありません。

幾度となくその一振りでチームに勝利をもたらした主砲永井琳選手、強烈な三塁線の当たりを何度も止めつづけた田中大翔選手らのプレーを忘れる事が出来ません。

鹿実という名前を背負い、また鹿児島代表として戦った以上、初戦敗退という結果については批難もあるかもしれません。ですが、彼らは令和の時代に初めて鹿実の名を甲子園に刻み、その伝統のバトンを新たな時代に繋いでくれた立派な学年でした。そのバトンは新チームに引き継がれる事でしょう。甲子園でのプレーを経験し、悔しい思いをした植戸選手と一ノ瀬選手には、ぜひその思いを糧としてチームを牽引して欲しいと願います。そして、ぜひとも再びあの舞台の土を踏んでほしい。鹿実のユニフォームには、やはり甲子園が似合いますから。次こそはあの舞台での勝利を。簡単な事ではないですが、私は引き続きその日を夢見て応援し続けようと思います。

 

さあ、間もなく新人戦。新たな鹿実野球部のスタートが待ち遠しくてたまりません。