鹿実野球部、甲子園出場へあと一歩届かずも……「痺れる夏」をありがとう。

結果は残念。しかし、その戦い様は見事でした。まずは準決勝と決勝の二試合を振り返ります。

 

第103回全国高校野球選手権鹿児島大会

◆準決勝

神村学園001 004 000 3=8

鹿児島実110 000 111 4x=9

【投ー捕】

神村:泰、内堀ー前薗

鹿実:赤嵜、大村、赤嵜ー城下

【長打】

二:井戸田、平石、板敷(鹿実)、甲斐田、長谷2(神村)

三:松岡(神村)

【試合経過】

鹿実と神村、夏の大会では6年ぶりとなった両雄の対決。鹿実サイドが先発マウンドに送ったのは、背番号7の2年生赤嵜投手。それに対して神村が立てたのはエースナンバーの3年生泰投手。非常に対照的な出方を見せた両軍ベンチでした。

試合は初回から鹿実が優位に立ちます。1回裏、鹿実は二死から主将城下選手が四球を選ぶと、4番井戸田選手が先制のタイムリーツーベースを放ち先制。いきなり相手の出鼻を挫くと、続く2回裏もリズムを崩した泰投手の制球が乱れ、4つの四死球によりさらに1点を挙げます。しかし、ここまで苦しめながらも泰投手をノックアウトさせる事には至らず。この試合最速150キロを記録する剛腕の前に、鹿実打線はしばらく圧倒されます。

一方の神村は、3回に反撃開始。ヒットと犠打で得点圏に走者を置くと、今大会絶好調の強打者1番甲斐田選手が右中間に技ありの二塁打を放ち一点差に。この後も赤嵜投手は神村の強力打線のプレッシャーに晒されながらも、バックが好守で盛り立てながら序盤5回までなんとかこの1点だけに留めます。

グランド整備明けの6回表、ここで強打を誇る神村打線が鹿実に一気に襲いかかります。先頭福田選手こそ三振に仕留めた赤嵜投手でしたが、4番前薗選手と5番中島選手に連打を許すと、続く花倉選手を歩かせてしまい一死満塁。この局面で7番長谷選手、8番松岡選手に連続長打を許し一挙4失点。今大会無失点と抜群の安定感を誇った赤嵜投手でさえも飲み込む神村打線の脅威を前に、鹿実ベンチは継投の決断を下します。ここでマウンドを託したのが背番号1、3年生大村投手でした。これ以上失点が許されない場面を任されたエースは、相手の背番号1を気迫で三振に仕留め見事ピンチを凌いでくれました。

一気に3点のビハインドを背負う形となった鹿実ですが、ここからしぶとさを見せます。7回には城下選手、8回には福崎選手がそれぞれタイムリーを放ち一点ずつ返せば、エース大村投手も毎回ランナーを出しながら神村打線に追加点を許さず、1点差で9回裏の攻撃へ。

鹿実は先頭の大村投手に代打末吉選手を送ると、これが四球となりノーアウト一塁。続く城下選手は凡退となりますが、ここから4番井戸田選手、5番板敷選手の連続ヒットが飛び出し同点。試合の決着は延長戦へ絡れ込みます。

10回表。大村投手に代打を送った関係で鹿実はレフトの守備についていた赤嵜投手を再びマウンドに送るスクランブル体勢で臨みますが、一度攻略した投手に対して神村打線は容赦ありませんでした。連打とバント処理失敗により一死満塁のピンチを招くと、6回に逆転打を浴びた長谷選手にまたしても右中間に運ばれ3点差。ここで勝負あり……誰もがそう思っても仕方ない展開。それでも鹿実の闘志は全く衰えを見せませんでした。

一死から福崎選手、平石選手が四球を選べば、代打の木村選手はショートへ痛烈なライナーを放ちます。記録こそエラーとなったものの、執念が乗り移ったような強烈な打球でした。これで一点を返せば、続く城下選手がタイムリー、井戸田選手もヒットで繋ぐと、最後に決めたのは板敷選手でした。変わった2年生左腕内掘投手に対しても迷いなく振り抜いた打球はセンター頭上を超える2点タイムリーとなり、これでサヨナラゲーム。文字通りのシーソーゲームを制した鹿実が、前年まで連覇を果たしていた王者神村を撃破して決勝に駒を進めました。

 

決勝

鹿実000 000 000=0

樟南100 310 02x=8

【投ー捕】

鹿実:大村、赤嵜ー城下

樟南:西田ー長澤

【長打】

二:小倉(鹿実)、尾崎、下池(樟南)

【試合経過】

伝説の引き分け再試合となった2016年以来5年ぶりとなった両校による決勝。今季は直前のNHK旗ベスト8で延長タイブレークの末鹿実が勝利するなど対戦経験もあり、緊迫した好ゲームが予想されました。

しかし、試合は序盤から樟南が主導権を握ります。鹿実先発の大村投手は初回に2番尾崎選手と3番下池選手の連続長打を許し、早々先制を許す苦しい投球。ボールはやや高く浮いたものの、甘い球をきっちり捕らえる樟南打線はこの後も鹿実投手陣を苦しめていきました。反撃したい鹿実打線でしたが、その前に大きく立ちはだかったのが県内ナンバーワンの呼び声高い樟南のサウスポー西田投手でした。この日は140キロを超える球はほとんど無かったものの、切れのある速球と多彩な変化球、抜群の制球に加え、NHK旗以降に鹿実対策として取得したというスプリットが冴え、鹿実打線に連打を許してくれません。

すると4回裏、2回以降ランナーを許しながらも耐えてきた大村投手が捕まり始めると、鹿実ベンチは赤嵜投手への交代を決意。それでも樟南の勢いは止まらずこの回4失点。結果的にこの失点が試合の行方に大きく影響を与えるものとなりました。

以降も鹿実は西田投手相手に反撃の糸口さえ掴めません。特に神村戦でも活躍した頼みの主軸城下選手、井戸田選手、板敷選手の3人はこの試合を通じて無安打。最終回は末吉選手、上西選手と代打二人でチャンスを演出する意地こそ見せましたが、最後までホームを踏めず最終スコアは0−8。攻守に隙のない樟南に圧倒された鹿実は、甲子園を目前に惜しくも敗れ去る事となりました。

 

宿敵に対し劇的勝利も、またも樟南の壁は厚かった

というわけで、準決勝と決勝の2試合を振り返ってきました。神村戦の執念の逆転勝利と、ライバル樟南相手の大敗。正直、私の中では未だにこの2試合で掻き回した感情を整理できずにいる気がしています。私は前回エントリーで「鹿実らしく勇ましく戦い、痺れるような試合をしてほしい」と希望しましたが、鹿実選手たちはその期待に十二分に応えてくれました。特に神村戦、諦めてもおかしくない展開から何度も息を吹き返す戦いぶりに、私は思わず画面に向かい叫び声をあげたものです。見る者の心を熱く震わせる戦いは、やはり何年たっても変わらない鹿実の魅力です。これほどの戦いを繰り広げるチームが、甲子園という大舞台でどんな野球をしてくれるのか。まだまだ選手たちの成長を見たいーーーそんな期待ばかりが膨らんで行きましたが、残念ながらそれはもう叶いません。

やはり、決勝の舞台での樟南は手強かった。過去のエントリーでも述べましたが、この鹿児島県内において勝利に飢えた樟南ほど恐ろしいチームはありません。樟南はこの一年間一度も頂点を経験しておらず、選抜大会出場をかけて臨んだ九州大会でも初戦敗退。NHK旗では鹿実とのライバル対決を延長タイブレークの末落としています。この敗北の一年が、樟南ナインの「夏は絶対負けるものか」という執念を生み出したのは間違いないでしょう。もちろん、甲子園に行きたい気持ち、負けたくない気持ちは鹿実も同じだったはずです。ですが樟南には、過去鹿実の夢を絶った年と同じく西田恒河投手という絶対的エースが君臨し、さらに彼を支える守備力も磐石でした。この投手を打ち崩すために鹿実も研究と対策を練ってきたはずですし、幼馴染である城下主将は内なる闘志を燃やしていたはずでしょう。それでも、相手がこちらを倒すために蓄えてきた力と策が、今回は上回った。勝負とはそういうものです。

次こそは、鹿実がーーーそう言いたいところですが、最後の夏の大会で敗れてしまった以上このチームで樟南に挑む事はできません。鹿実が破ってきた対戦校も、同じ思いをしてきた事でしょう。これが高校野球。敗れてしまった以上は、勝者に思いを託すしかありません。今年の樟南ならばきっと、甲子園でその名を轟かせてくれる事でしょう。健闘を……いや、ここまで鹿実を圧倒したチームですから、今年こそは鹿児島県代表としての目に見える形での「成果」を期待したいと思います。

 

18人の軌跡

本当はこのブログももっと早く更新するつもりでした。それができなかったのは、決して鹿実の敗退を受け入れられなかったからではありません。この一年間素晴らしい戦いと成長ぶりを見せてくれた選手たちを思い返せば、言葉にしきれないほどの想いが溢れてきたからです。未だにその気持ちをまとめきれている自信はありません。鹿実としては少ない18人の3年生たち。しかし一人一人は強烈な個性を纏っていて、非常に魅力的な選手ばかりでした。

入学早々その評判に違わぬ実力を発揮し、この3年間常にチームの中核を担い続けてきた城下拡主将。彼なくして今年のチームは語る事ができません。二人の兄の背中を追いかけて愛知から鹿実の門を叩いた井戸田直也選手は、最終的に強打を誇るチームの4番を務めるほどの打者にまで成長しました。誰よりも宮下監督に怒られたという平石匠選手。一番に座りながら積極的な打撃でチームに勢いをもたらす姿勢は、宮下監督もご自身の現役時代と重ねるものがあったのではないでしょうか。なかなか正ショートが決まらない中、チームのためにコンバートを名乗り出た漢気も印象深いです。勝負強さに磨きをかけた板敷昴太郎選手や、打順降格から意地を見せた小倉良貴選手。再三の好守でチームを救った福崎浩志郎選手や、お父様の誕生日に高校初ホームランを放った濱田禎勝選手の活躍も忘れられません。

そして何より心を打たれたのは、大村真光投手のエースとしての投球です。新チーム結成時は決して頼れるような投手ではありませんでした。実際、秋の城西戦は多くの四死球、被安打を献上し敗戦投手になっています。投げるボールもなかなか走らず、常に高めに浮くなど投球内容も散々だったと記憶してます。それが一冬超えると彼の下半身はガッチリと逞しくなり、球速は140キロを記録するほどにまで伸びてきました。さらにその球をビシビシと低めに投げ込み相手打者に向かっていく姿は、秋とは全くの別物。一度は失った背番号1を、彼は実力で奪い返したのです。神村戦で見せた気迫のリリーフは、その後の反撃に向けてチームに大きな勇気をもたらしてくれました。決勝こそ早々降板する形にはなりましたが、彼がいなければチームはここまで来れなかった事でしょう。

甲子園には確かに届かなかった。栄光の舞台に立てなかった。それでも、このチームが戦い抜いた軌跡は、全国のどの強豪校にも負けない誇るべきものだったと私は思います。

私はこのチームを、第103代鹿実野球部を忘れる事はないでしょう。

 

素晴らしい野球をありがとう。そして、お疲れ様でした。

これからの皆さんの人生も、私はファンとして応援しています。

 

きっといつの日かこの夏の悔しさが、未来の自分に力をくれるはずです。